野良ネコのグリ その後

2025年に入手したTerra Nova(新天地)。不動産売買の手続きが全て終了した6月半ばから早速、整地・整備作業を始めた。前の持ち主が4月に下草を刈り取ってはいたが、私たちが作業を始めた6月にはすでに、ぼうぼうの状態。斜面部分の雑草を抜き始めて少しすると、何だか棒状の白いものが出土(?)した。何だろうと思って取り上げてみると...これって、ネコの足???

少し掘り進むともう3本。そろりそろりと土を撫でるようにどかしていくと、頭蓋骨が出てきた。さらに、小指のさきほどの頸椎が。でも、それだけ。前腕骨2本と足根骨2本。それから頭蓋骨と頸椎が一つ。

すぐにわかった。グリだ。野良猫のグリがウチで死んでしまった時、そこにグリを埋めたのだ。もっと良さそうな場所を探したかったが、雑草がひどくてそれ以上、進むことができなかった。それに雑草の根っこが張っていたので、深い穴を掘ることもできなかった。もう、6年も前のことだ(2021年9月27日の「グリを忘れないために」は下記に再掲載)。グリは綺麗なお骨になっていた。

死ぬ間際に見つけた、安心できる場所に戻りたかったのだろうか。お骨になったグリは今度はモモとティシアのそばに埋め替えてあげよう。

 

<再掲載> グリを忘れないために(2021年9月27日)

犬のライカ

私はなぜ、ライカのことを知っているのだろうか。彼女が死んだ時には私はまだ産まれていなかった。それなのに、ライカが尻尾を振りながら、嬉しそうに宇宙船に乗り込む姿を鮮明に覚えている。白黒テレビの映像だ。それがリアルタイムでなかったことはしらなかった。帰還できない宇宙にたった1匹で打ち上げられるライカのことを、あたかも素晴らしいことであるかのように浮かれて報じる番組に違和感を感じた。もちろん、その頃、感じていたことを言語化できたわけではない。何かが引っかかったのだ。

ライカの名前は頭の隅にずっとあった。最近、インターネットで調べて、初めてライカに起こったことをはっきりと知った。

 

ソ連の「宇宙飛行犬」ライカの悲劇 動物実験の倫理とは

https://forbesjapan.com/articles/detail/76814

オリーブの収穫 2025

例年だとオリーブの収穫は11月に入ってから始めるが、10月半ば以降が雨の予報で収穫日和が見えなかったので、早めに始めることにした。オリーブの実は8割がたがまだオリーブ色。周りで収穫を始めている人は誰もいない。黒く熟す前のオリーブから絞ったオリーブオイルにはピリッとしたクセのある味がある。私たちは個性的なクセのあるオリーブオイルが好きだが、地元ポルトガル人の多くはまろやかで搾油量も多い完熟(?)オリーブを好む。

毎年一緒にオリーブの収穫をするディヴ(もうお馴染み?)と一緒に、新しく入手した土地にある21本のオリーブと元から庭にある6本のオリーブの木から収穫を始めた。集中した作業をすること一週間。新しい土地のオリーブは15年も放置されていたので、実はあまりつかないだろうと思っていたが、嬉しいことに豊作。380キロのオリーブが収穫できた。

皆既月蝕

9月7日の日没時に満月の皆既月蝕があるから、人が来なくて静かで、月がよく見える穴場で、月蝕を見ながら発泡ワイン(つまりシャンペン)でお祝いしようというお誘いがあった。駐車スペースに車を止めて、ちょっと険しいところもあるけれど20分ほど歩くだけ。

総勢5人と犬3頭。私たち二人、友人のジョンとベティと犬のネオ、声をかけてくれたマーティンと彼の犬2頭。待ち合わせた駐車スペースはポルトガルの最高峰エストレラ山脈を反対側に降りる、曲がりくねった道路脇にあった。私は何となく、駐車場があって、その片隅の登山口(日本だったら道標がある)から森の中を歩いて行った先に開ける眺めのいい高台を想像していた。だが、目の前にあるのはガードレールの向こう側の岩がゴロゴロと転がった斜面とその前に聳え立つ岩山だけ。

マーティンは何事もないかのように、この斜面を降りて、あの岩山に登るんだ、以前に一度、登ったことがあるから道はわかっているよ、と言う。私たち4人は顔を見合わせた。

買っちゃった!

20年前。秋になるとウチに隣接する農地で毎年、老夫婦が二人でオリーブを収穫していた。数年経つうちに、いつの間にか姿が見えなくなった。夫婦のどちらかが亡くなり、もう一人はケア施設に入った、と風の便りに聞いた。

その土地は急勾配で、狭い畑が五段重なって小川まで続く。枯れることはない、と言われたウチの井戸は酷暑の夏場に2回、枯れた。川の側に井戸を掘れば、水が確保できるだろう。あの土地が手に入ったらいいかな、と思った。10年ほど前に村の人たちに所有者が誰なのか聞いて回ったが分からずじまいで終わってしまった。

老夫婦がいなくなってから、2回ほど森林整備で下草が刈られたが、その後、放置され、いばらと雑草がぼうぼうと生え、足が踏み入れられないほどになった。雑草は夏になると枯れて乾いて、火災発生時の延焼の原因となる。不注意や故意による発火の危険性も大きい。去年(2024年)は9月に入ってから、集落内で森林火災が発生した。運良くすぐに消し止められ、家屋の被害はなかったが、村人は動揺した。森林火災の恐怖が蘇った。

「君たちの家のすぐ下のあの土地、アブナイよ」「火事になったらあそこから火が集落に入ってくるよ」 それはわかっている。だが、他人の土地なので手出しができない。村役場に陳情に行こうかと真剣に考え始めた。

熱中症

やってしまった、熱中症。

5月は半ばごろまで肌寒い気候が続き、4月半ばには使わなくなる薪ストーブまで使っていた。最低気温12度前後、最高気温20度ちょっと。それが突然最高気温36度まで上がった。

こういう時は要注意。それまでは朝から夕方まで庭仕事をしていたが、急激な気温の変化に対応するために庭仕事は午前中、昼間の暑い時期は家の中、夕方涼しくなってから(とは言っても暑かった...)また庭仕事、と時間帯を変更した。この時期は雑草の成長が早い。

連れ合いが留守だったので、暑いからと言ってのんびりと休んでばかりはいられない。3日ほどこんな陽気が続いた。2日目には何だか疲れるなあ、体力が落ちたのかな、と心配になってきた。それでも、午後いっぱい休めば疲れは取れた。

イベリア半島の大停電

4月28日、11時33分。

友人夫妻と3人が乗った飛行機はポルトの空港に20分早く到着した。ターンテーブルに出てきた預け入れ荷物を下ろした直後に、停電。一時的なものだろうと、その時はあまり深く考えなかった。

薄暗い空港の中、税関を通過して到着ロビーに出て、車で近くに待機している連れ合いにメッセージを送り、ロビーのカフェで待つことに。その間、友人夫妻がATMでユーロを下ろした。停電が一時的なものではなさそうなことに気がついて、もう一度ユーロを下ろそうとしたらATMがもう機能しない。

両替商も停電だから両替できないという。地図をもらいに行った観光案内所でイベリア半島全体が停電している、と言われ、絶句。停電になる前に荷物が出てきたのは幸運だった。空港は全体的に薄暗くなっているが、こういう場合に備えてバックアップの電源はないのだろうか?

今回、連れ合いは列車で来る予定だったが、(運良く?)鉄道がストとなり、車で迎えに来ていた。ちなみに、地下鉄は電動のため、当然ながら運行していない。連れ合いの車に荷物を乗せて、混乱し始める前に空港を脱出することができた(実際に混乱したかどうかは知らない)。

今度は突風

4月、一時帰国している最中に強風が吹き荒れた日があった。ウチの向かいに廃墟がある。2階部分の煉瓦のオーブンが剥き出しになり、そこから10メートルはある煙突が聳え立っていた。強風が吹くたびに倒れないか心配になったが、20年間、何事もなかったのでそのうち、忘れていた。その煙突が、この強風で崩れた。

風向きが悪かったのだろうか、一体どんな強風だったのだろう...。廃墟にはノラネコがたむろしているが、彼らは無事だったようだ。

庭にあるイタリアンサイプレス(糸杉)も被害を受けた。幹から3本の枝がまっすぐ上に伸び、高さ8メートルほどなのだが、真ん中の枝が折れたのだ。幸いなことに家には当たらず、正木の上に倒れてくれた...。

残りの2本の枝はだんだんと外側に傾斜しているよう。伐採しなければならなくなるかもしれない。

 

写真は真ん中の枝が折れたイタリアンサイプレス

落雷!

1月28日、早朝3時18分。稲妻と同時に頭上で破裂するような雷轟。

第三十四日目 帰宅!

スペインとポルトガルには1時間の時差があるので、帰宅は14時くらいになる予定。Ciudade Rodorigoまで来ると、国境まで40キロほど。家までもう一息。

国境を越えると空気が変わるのか、ポルトガル、と言う感じになる。ひたすら走る。2時過ぎに帰宅。シュウシュウが玄関まで出迎えてくれた。

写真は上から

Sardon de Dueroの宿
宿のレストラン
立ち寄ったCiudade Rodorigoでは市が開かれていた
クリスマスの飾り付けがあるスペインとポルトガルの国境(スペイン側)

 

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