羊と山羊の健康と多産を願う祭り

年に一度、復活祭の一週間後の日曜日に聖ジェラルド村で、羊や山羊の多産と無病息災を祈る祭りが行われる。羊飼いが羊や山羊を連れて巡礼に来ると、村の中心にある小さな礼拝堂の周りを一方向に3回、反対方向にもう一度3回まわる。きっちり3回ずつ回らなければいけないというが、これがなかなか難しい。

連れて来られる羊や山羊は、何でこんな所まで連れてこられるのか理解していないし、たくさんの見物人に囲まれて礼拝堂の周りを回らなければならない理由もわかっていない。しかも3回周ったら方向転換をさせられる。

羊飼いの方は必死である。3回以上回ってしまったら御利益がなくなってしまうのだから。

カラフルな毛糸の飾りを頭につけてベルを首から下げた羊と山羊の群れが小さな村の、小さな広場にある、小さな礼拝堂の周りを回る祭り。とても素朴だが、昔はかなり遠くから家畜を連れて羊飼いがやってきたという。

村のウエブサイトはこちら。

猫の写真?

これは何でしょう? 私には疑いようもなく猫の形に見えた。面白がって友人に送ったら「何、これ?」と言われてしまった。追い打ちをかけるように「何でこんな写真を送ってきたのかわからない」とも。

そして気がついた。物の見方は人それぞれで全く異なるのだということに! 猫好きの私には猫の形のように見えても、そうでない人には「???」

皆さんにはどう見えますか?

 

写真は上から

友人に送った写真(上二枚)

下二枚は本物の猫の影。

 

セーラ・ダ・エストレラその後

セーラ・ダ・エストレラの大規模森林火災は8月13日に鎮火され、そのまま収束に向かうかと思ったのだが、15日に再燃。18日まで、28,1212ヘクタールを燃やして18日に鎮火された。セーラ・ダ・エストレラ自然公園は総面積の25パーセントに当たる22,065ヘクタールを消失。深刻な被害から回復するまでにはこれから50年はかかると言われている。

この地域では放牧が盛んなのだが、放牧地が焼失してしまったせいで家畜の餌をどうしたらよいのか、地元の農家は途方に暮れている。

温暖化の影響で、これからポルトガルでは森林火災はこれまでの3倍に増えるだろうという試算も出ている。2005年に移住したが、その当時から比べても既に3倍くらいは森林火災の発生率は増加したような実感がある。

8月20日から数日間は熱波が再来する。干ばつと森林火災。生活の仕方を真剣に再検討しなければならない。

 

参考までに、ポルトガルのニュースサイトRTPのリンク。

セーラ・ダ・エストレラの大火災

八月六日から1週間燃え続けたセーラ・ダ・エストレラの森林火災がやっと鎮火した。セーラ・ダ・エストレラはポルトガル大陸部の最高峰1,993メートルのトーレを頂点に、広大な自然保護区域を抱えている。

六日の早朝三時過ぎにコビリャーで出火して以来、五つの自治体をまたいで燃え続け、自然保護区の10パーセントを超える17,000ヘクタールが焼失した。気温は47度を記録した一時期の猛暑に比べれば10度程度は低いがそれでも30度台後半。地形が複雑で接近しにくく、風向きがコロコロと変わり、消化作業は困難を極めた。連日、1,500人に上る消防隊員、500台近くの消防車、空中消火の飛行機とヘリコプターが投入された。

その間、他に森林火災がなかったわけではない。セーラ・ダ・エストレラの森林火災から西に約50キロで発生した森林火災は24時間程度で消火されたものの、移動速度が速く、民家や農地等に被害が及んだ。

報道はどうしても人間中心になってしまうが、森林を住処とする野生動物の被害はどのくらいになるのだろうか。山火事を生き延びたとしても、これから暮らしていく森はもうないし、移住の世話をしてくれる者はいない。

ポルトガルのニュースサイトのリンク

猛暑第三波 2022

今回の猛暑は、7月29日から31日までのほんの3日間で最高気温も41度。前回2回と比べると、日数的にはプチ猛暑。8月3日現在で、気温は前回(2度目)の猛暑と比べると10度は低い。6月半ばの35度から40度の猛暑も、今考えるとそんなに暑くなかったかもと思えてくる。最も、この時はまだ暑さに体が慣れていなかったから辛かった。これから10日間くらいは最高気温35度前後で推移する予報。一息つける。

それでも、渇水はかなり重篤。井戸にはもう殆ど、水が流れ込んでこなくなった。プラスティックの1トンタンク5個に貯めてある水がなくなったら、隣人から分けてもらうしかない。森林火災を考えると、タンクの水を空にするわけにもいかない。

ウチは生活水には水道水を使っているから、今のところは問題はない。8月5日現在、フランスでは100を超える自治体で飲料水の供給が出来なくなったと言う。ドイツではライン川の水位が下がって、船舶の航行に障害が出ている。数日で航行が不可能になるだろうと予想されている。

東京新聞の記事:https://www.tokyo-np.co.jp/article/194387?rct=world

猛暑第二波 2022 その3

猛暑日の第二波がやっと過ぎ去ってくれた。焦熱、灼熱という言葉がぴったりの10日間だった。

猛暑日が始まって、7月8日には酷暑及び森林火災の警戒体制が敷かれ、7月10日には7月11日から15日までの緊急事態宣言が発令された。ポルトガル北中部では連日、最高気温37度から43度。これが17日まで続く予報。最高気温は記録更新の47度(!)だという。その後、一時期30度台前半まで気温が下がる。最近では36度とか聞くと、涼しそう! と思ってしまう。

森林火災は最初ポルトガルの南西部で猛威をふるい、その後中北部、それから北部に移動していった。自宅近くで山火事が発生した友人は、思ったよりも早く火が近づいて来て、煙で喉や目が痛くなるくらいとなり、2日間、友人宅へ避難したという。幸運にも、自宅は無事だった。放火したとして50人以上が逮捕されている。

ポルトガルの気温は下がってきた。40度台半ばから30度台半ばまで気温が下がると随分涼しく感じる。とりあえずは7月末頃までは30度台の予報で一息つける。この酷暑は北上して現在、スペイン、フランス、英国で猛威を振るっている。

猛暑第二波 2022 その2

昨日(7月8日)からの猛暑。今日9日は最高気温が40度、となっている。夜は18度まで下がる予報であるが、34度から42度の猛暑日がこれから10日間も続くと思うと、まだ二日目なのに、すでにうんざり。

家にエアコンはないが、夜中、窓を開け放しにして少しでも涼しい空気を入れ、昼間は窓もカーテンも全て閉めて、何とか26度くらいを今のところ維持している。石壁の家だから、石が温まってしまうまではこれで何とかなるだろうが、10日もこんな天気が続いたら室内の温度も随分と上がってしまうだろう。ちなみに夜8時になっても、まだ暑い。9時ごろに太陽が沈むと、少し息がつけるような感じ。湿気がないのが救いだが、それも森林火災を考えると怖い。

洗濯機やキッチンで使った水は、庭にためて植物の水あげように使う。家の風呂には水を貯めて、暑い時にはそこで涼を取る。それに家の中に水があれば、蒸発に伴って少しは室温が下がるかもしれないし。井戸の水はできるだけ効率良く使うようにする。それでも、できることはそんなにたくさんはない。

猛暑第二波 2022 その1

6月半ばに最高気温35度を超える猛暑日が8日ほど続いた。次に早春に戻ったかと思うくらい涼しい日々が続いた。最高気温が23、24度、最低気温は8度まで下がる日も。7月に入って、だいたい通常通りの気温に戻ったかと思ったら、再度、猛暑日。

7月7日から16日までの10日間の予報を見ると、 今回の猛暑は最高気温が37度から42度。今年もすでにあちこちで 山火事は発生していたが、昨日7日、久しぶりに大規模な山火事を目撃した。

今年は降雨量が少なかった。これからの10日間、連日猛暑それに加えて強風。あっという間に、地図上では私達が住むポルトガル中部は四方からの森林火災に囲まれた。

心配な状況である。

 

写真は上から

7月7日から16日までの天気予報

7月8日の森林火災現状

7月7日に撮った、大規模森林火災

在外公館投票

公示日6月22日、国内投票日7月10日の第26回参議院銀通常選挙の投票のため、リスボンの在ポルトガル日本大使館に行ってきた。ポルトガルでの投票は6月23日から7月2日まで、土日も含めて連日9時30分から17時となっている。

ポルトガル在住の日本人は数年前に600人を超えたと聞いたので、現在でも1,000人はいないのではないだろうか。そのうち、何人に選挙権があって、何人が実際に投票するのか、以前聞いた時には投票する人の人数が随分少なくて驚いた。何人だったかはもう、覚えていない...。

現在、国際郵便は全く機能していない。例えば日本からポルトガルまで郵便物を送る場合、少し前までは封書とハガキは航空便で送れたが、その他は船便しかなかった。現在ではEMSも使えるというが信じられないほど時間が掛かるという。コロナで旅客機の便数が激減したために、郵送日数が随分と掛かるようになったことは知っていた。そして、ロシアのウクライナ侵攻で今度は欧州からアジアへのロシア空域が使えなくなった。便数もコロナ・ウクライナ情勢以前と比べると激減したままだ。

ウクライナの難民

3月の初め頃、ローザからウクライナからの難民がこのあたりにも到着し始めている、と聞いた。他の村人からも近くの町に数人来ているらしいという噂があった。

PCR検査のために出発二日前にリスボンに到着。夜、街を歩いているとホテルのある行政区役所の前に人が集まっている。報道陣もカメラなどを構えて陣取っている。何事かと思って聞いてみると、これからバスでウクライナからの難民が到着するので、彼らを歓迎するために集まっているのだ、ということだった。私たちはそのまま通り過ぎてしまったが、翌日のテレビニュースで大きく報道されていた。

気がついてみると、宿泊しているホテルにもウクライナ人らしい人が散見させるようになった。リスボン出発の当日、ホテルのチェックアウトをした頃には、かなりの人数のウクライナ人が泊まっているようだった。

逃げてきた人々はそれぞれに大変な経験をしてきたのだろう。多くの難民はポルトガルに住んでいる親族を頼ってきたのだと思われる。ここまでくれば、とりあえずは身の安全は確保できるが、彼らの前途には何が待っているのだろうか。

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