子猫のフィリー
ある村の公民館を借りてやっているダンスのセッションに毎週、通っている。公民館のすぐ辻向かいにはその村の交響楽団の建物がある。内部の床は板敷きで舞台も設置され、昭和時代の小学校や中学校の体育館を思い出させる。その裏手には公園のように整備された林があり、夏の暑い日には木陰でピクニックをする家族がいたり、子供達が遊んでいたりする。時々、キャンピングカーも停まっている。公民館に行く時には、そこに車を停める。
9月半ばのある日、車から降りると交響楽団裏口の屋根の下から子猫の鳴き声が聞こえてきた。きっと捨て猫だ、と思いながら見に行くと案の定。綺麗な青い目の子猫が助けてもらいたいけれど怖いといった様子で、鳴きながら、震えるほどに力を込めて爪をたてて立っていた。近づいて拾い上げようとすると、鳴きながら奥の方に逃げてしまう。よく見ると、片方の目がない。
ダンスが終わって出てくると、ダンスに参加していた母親を待っていた子供達が、どこからか拾ってきた靴用のダンボールの中に暖かそうな雑草の穂を入れて子猫用のベッドを作っていた。子供達は口々にお母さんに子猫を連れて帰りたい、責任を持って飼うからと訴えていたが、「責任を持って飼うと言っても、病気になったら獣医に連れて行くのは私なのよ。子猫の医療費を払うような余裕はないわ」と却下されていた。
誰かが連れて帰れば、それでいいと思いながら見ていたが、どうやらどの子もお母さんを説得できなかった様子だ。ダンボールのベッドに入った子猫を交響楽団裏口に戻しながら、ほとんど泣きそうな顔をしている子もいる。
まだ9月の末で気候的には暖かい。が、放っておけば多分生き延びられないだろう。 助けを求める鳴き声を 最初に聞いた時から、私の心は決まっていた。 誰も連れて帰らないならば連れて帰ろう、と。
1年半程前に亡くなった片目のティシアそっくりの子猫。こうして、フィリーが家に来た。
とは言え、家で飼うつもりはなかった。これまで、二匹の子猫を拾っている(ウチに来て7年になるシュウシュウにしても、私が拾ったわけではないが捨てられていた子猫だ)。その度にシュウシュウには負担を強いてしまった。特にティシアがきた時には、体の弱かったティシアを家の中に入れたせいで、シュウシュウはほとんど家に入ってこなくなった。だから、獣医に見せて体調が整って健康になったら、可愛がってくれる里親を探すつもりだった。
フィリーを連れて帰宅してからすぐに獣医に直行。なんらかの事故で片目を失ってしまった可能性が高いという診断。感染症はなく、片目だという以外は健康だとお墨付きをもらった。体重は450グラム。生後4〜6週間くらい。多少、栄養不良で肋骨が目立つ。水筒を使って即席の湯たんぽを作り、体温の調整がまだできない子猫のフィリーが暖かく寝られるように物置の片隅に快適な場所を作った。
一週間もすると、体重は約2倍に増えて随分と子猫らしくなってきた。毎日、感染予防のクリームを塗っていた目も綺麗になってきた。
2週間目に入って、つまずいた。食欲が落ちて、元気がなくなってしまったのだ。体重も600グラム台まで減ってしまった。あっという間に、体重が4分の一、落ちてしまったことになる。 湯たんぽに抱きついていると多少は休まるようだったが、このままでは危ないと獣医に連れて行った。原因は不明だったが抗生物質を処方してもらった。寝床を物置の片隅から、もっと暖かくて居心地のいい離れの客室に移動させた。二日ほどで食欲が戻り、2週間目が過ぎる頃には体重も800グラムを越えるところまで回復してきた。
その頃から、里親探しを始めた。この頃になると、フィリーも人に慣れて甘えてくるようになる。猫好きの人は大抵、フィリーを見るとかわいい! と言って撫でてくれる。そして片目であることに同情する。
死んでしまった片目の子猫ティシアに教えられた。健常猫でなければハッピーになれないということはないのだ、と。放置されれば生き延びられないかもしれないが、安全な環境が確保できれば普通に生きられる。
池のそばで庭仕事をしていた時だ。何を考えたのかフィリーが全速力で走って来ると、モモンガのように四肢を開いた状態で池の中に飛び込んだ。水草に覆われていたから、その下に水があるとは思わなかったのか、そんなことは想像もしなかったのか...。あっという間もなく、フィリーは 耳の先まで緑の水草の下に消えてしまった。数秒で浮き上がってくると何と自分で泳いで池から出てきた。体温が下がっては良くないのですぐに風呂場に連れて行って暖かいシャワーを浴びせ、体を乾かした。完璧に安全な環境というものはないだろうが、少なくともすぐに対処できる環境はある。
思ったよりも簡単に、5組の友人が引きとってもいいと名乗り出てくれた。考えた末、フィリーの面倒を最もよく見てくれそうな友人に引き取ってもらうことにした。うちで世話すること約1ヶ月。フィリーは友人宅に引き取られていった。
引き渡しはさすがに辛かった。可愛がってもらえる家なのでそれは嬉しいのだが、一ヶ月間面倒をみる間に絆のようなものができていた。この子が病気の時は体温が下がらないように一日中、懐に入れて温めた。フィリーもお腹を温めるためだろうか、しがみついてきた。でも、子猫だから、きっとすぐに新しい家に慣れて私たちのことは忘れてしまうだろう...。
ほぼ毎日、写真付き報告が送られてきた。先方は、先住猫がいるので相性を心配していたがそれは杞憂に終わった。元気になったフィリーは信じられないほどのエネルギーで一日中、走り回っていると聞いた。すごい速度で走り回ると電池が切れたようにパタッと10分くらい爆睡してまた走り回るということを繰り返しているようだ。
引き渡し当日、初めての家で好奇心いっぱいのフィリーはあちこち見て回っていた。これまで見たこともないキャットドアを、池に飛び込んだ時と同じような勢いで駆け抜けた。私たちが帰宅の準備をしても、ちっとも悲しそうな顔も見せずに遊びまわっていた。
11月半ば過ぎ、フィリーの様子を見に友人宅に遊びに行った。相変わらずものすごいエネルギーで走り回り、くたびれると電池が切れたように寝てしまう。それでも、どうやら私たちのことは覚えているようだ。名前を呼ぶと赤ちゃん猫だった時のような表情で走って来た。
写真上から
来たばかりのフィリー。全身で警戒している。
シュウシュウとご挨拶。この後、シュウシュウの猫パンチが飛んだ。
フィリーは写真うつりがいい。
初めて出会った日から約2ヶ月後。ヤングアダルト風の表情を見せるようになった。




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