皆既日食と燃えるポルトガル

10月3日の午前、ポルトガル北部を皆既日食が通る。隣人にモモの世話を頼んで、私達はキャンプをしながら北部の町・ブラガンサに行くことにした。

一泊目9月30日はビラ・フロールの市営キャンプ場。年中無休だが、夏休み後で閑散としている。すぐ隣りにさびれた動物園があった。オリの中のイノシシと鹿は、誰も来ないので飽き飽きしているようだった。2泊目は国境の町ミランダ・デ・ダオン、3泊目はブラガンサの郊外にテントを張った。ミランダ・デ・ダオンはスペインからの買い物客を意識しているのか、古城がきれいに整備されている。この辺りはテラ・フリア(凍てつく大地)と呼ばれるだけあって、風が強く、夜は冷え込んだ。

2日は朝から強風。地図で目星をつけたブラガンサ郊外の丘でキャンプして、そのままそこで皆既日食を見る予定だったが行ってみると、遮る物がない丘の上ではもろに強風に晒されて、寒いし、吹き飛ばされそうだ。もうちょっと居心地の良いキャンプ地を探して丘を下った。道路脇に丁度良さそうな場所があった。車はあまり通らないし、灌木と背の高い雑草のおかげでテントも車も道路からは見えない。

丘を挟んで2ヶ所、遠くに煙が見えた。森林火災である。9月初旬に2日ほど、雨がぱらついた。気温も下がり秋らしくなってきたので、森林火災の季節ももう終わりだろうと思っていた。が、そうではなかった。気温は低くても、極度の乾燥は解消されていない。この強風では燃え広がるだろう。こんな日はあまり外をうろつきたくない。放火する場所を探している不審者と誤解されたらどうしようと心配するのは妄想だろうか。

暗くなるまで時間があったので丘に戻ると、風はさらに強くなっている。2ヶ所の森林火災は風にあおられて広がりながら移動していく。暗くなりかけた頃、丘を下ってキャンプ地へ向かった。灌木と雑草の間にテントを張る。澄み切った星空である。テントの中は暖かくなるが、外は寒い。高空で渦を巻いた空気が落下してくるような強風が吹き荒れた。竜巻が真っ逆様に地上に叩きつけられているようだった。十分離れていたので大丈夫だろうとは思ったが、山火事も少し心配だった。

朝になっても風は収まらない。丘の上でキャンプしなくてよかった。寒かったのでブラガンサに戻って、城壁から日食を見ることにした。城壁の回りは皆既日食を見る人で一杯になるだろうと思っていたが、いるのは数人の外国人だけ。スティーブと私は城壁の見張台に陣取った。日食が始まった。人が集まる様子はまったくない。通りは閑散としているし、空を見上げる人もいない。側で屋根瓦を修理している職人は、日食にまったく無関心で仕事を続けている。屋根に座ったネコだけがナットクできない面持ちで空を見上げていた。

日食は8時半過ぎに始まった。9時50分頃に皆既日食。皆既とは言っても、太陽と月の距離が離れているので太陽の輪郭は隠れない。思ったよりも暗くはならなかったが、空気は冷たくなった。

始めて皆既日食を見たのは80年2月、ケニアであった。この日は快晴で、月が太陽と完全に重なると、太陽は黒い巨大惑星のように見えた。99年8月には皆既日食が通過する英国・コーンウォールにいた。20世紀最後の皆既日食だと、マスコミが何週間も前から騒ぎ、まるで民族大移動のように誰もが南を目指した。当日は雨模様で、厚く垂れこめた雲の上を皆既日食の陰が凄い早さで通過していった。

皆既日食を見てから昼過ぎにブラガンサを出発し、ビゼウを経由してタブアに帰った。この日、そこら中が燃えていると言っても大げさではないくらい、あちこちで山が燃えていた。森林火災の黒煙は活火山が吹き上げる黒煙に似ている。

タブアから50キロほど離れたビゼウを出ると、前方に黒煙が見えた。地平線の3分の1以上が煙で覆われている。...タブアの方向である。近づくにつれて、それがタブア周辺だろうことがはっきりしてきた。スピードの出ない車のアクセルを床まで踏み込んで、スティーブが運転する(それでも90キロがせいぜい)。借りているマンションが燃える心配は先ずない。何しろ、消防署のすぐ裏なのである。家も火が迫れば、大工の3人が何とかするだろう...。大丈夫だと思ってもやはり心配になる。

タブアに近づくと道路脇の森林が焼けこげているのが目についた。黒く焦げた木々の間から白い煙が上がっている。タブアの入口である橋に来ると、数日前に散歩したペドラ・デ・セ(直訳では石の教会、実際には大きな岩)が火に包まれていた。野次馬が橋の上から火事を見物している。私達も、車を停めて写真を撮った。

タブアは燃えてこそいないが、煙に包まれて真っ白、灰が舞っていた。燃えているのはコニーの農場の方向である。運良く焼失は免れたが、コニーはこの夏、3回も森林火災に見舞われた。彼女の住む地域ではこれでもか、というほど何度も森林火災が起きた。燃えるものが残っていることが不思議なほどであった。放火だろうと、誰もが推測した。

後で聞いた話によると、ビゼウ周辺で始まった火災は強風のあおりを受けて数日間燃え続け、何十キロも移動したと言う。ペドラ・デ・セを燃やしてさらに西に移動していった火災は、ビゼウで出火したこの火災であった。ポルトガル全土が炎に包まれているようだった。

では、実際はどうだったのだろうか。パブリコ紙インターネット版から拾ってみた(ポルトガル語はまだおぼつかないので、正確さは不明)。

10月2日。「ビゼウ周辺で午前6時45分頃森林火災発生。火災は4ヶ所に広がった。現場への接近が難しいことと強風で、消火活動は困難」「ビゼウでは消防士149人、消防車38台、消防飛行機とヘリコプター各2機が出動」「昨日発生したポンバルの森林火災は今日午後2時、鎮火に向かう」「フィゲイラ・ダ・フォズでは森林火災のため、キャンプ場から50人のキャンプ客が避難。消防士136人、消防車36台、消防飛行機2機が出動した」 この日、ポルトガル本土全土に森林火災警報危険度5(1から5まであって、5が最も高い)の警報が出されている。

10月3日。「今朝7時22分現在、11ヶ所で森林火災が続いており、ビゼウでは18人が救助された。火災はコレガル・ド・サル(モンデゴ川を挟んで、コニーの農場の向かいに位置する町)まで広がった。全国で消防士1、580人と消防車463台が動員された」「ポルトガル北部及び中部では5ヶ所で消火活動が続いている」「22時50分現在、ポルト及びビラ・レアル両県の3ヶ所で消火活動継続中」

10月4日。「森林火災7件のうち5ヶ所がまだ燃えている。消防士1、070人と消防車292台が出動。ビゼウで出火した火災は消防士422人、消防車111台、消防機3機にもかかわらず、コレガル・ド・サルは燃え続けている」「3地区4件の森林火災で消火活動が行われている」

9月末にスペインでは、シエラ・ネバダ国立公園で遭難した英国人とフランス人が救助隊に自分達の居場所を知らせようとして起こした火が原因で、2、600ヘクタールが焼失した。二人は無事に救助されたが、救助後、即逮捕された。また7月にはスペイン中部でバーベキューから出火したと思われる森林火災で12、000ヘクタールが焼失、消防士11人が死亡した。

9月末にポルトガルで選挙があった。森林火災対策は選挙の争点にはなっていないようだった。選挙活動の一環で、タブアでは候補者がライターを配っていた...。

10月半ばになって本格的に雨が降り出すと、一週間もしないうちに山野は緑に覆われた。ポルトガルでは毎年4月になると焚き火が禁止される。この雨で焚き火は解禁になったのだろう、夏の間燃やせなかった(燃えなかった?)下草などを燃やす煙が曇り空の下で何本も立ちのぼっている。