アフリカンダンスと山火事

ポルトガルの森林火災が世界中にニュースとして流れ、皆さんにも随分と心配していただきました。実際、ひどい状況でした。夕方、数カ所から煙が立ち上ることも珍しくはなく、7月末には昼夜4日間燃え続ける山をアパートの窓から双眼鏡で見ていました。炎は山の斜面を燃えつくし、燃えながら反対側に下り、さらに隣の山を燃えつくしていきました。

8月半ばから末にかけて、同時に27ヶ所で森林が燃えているという事態も起こっています。都会に住んでいると干ばつや森林火災は他人事ですが、ここに引っ越してから異常気象を身近に感じるようになりました。9月に入って2日間雨が降って森林火災も落ち着いたのですが、ここ一週間ほどほとんど毎日、森林火災が発生しています。

インターネットで天気予報を見ると、「晴れ」や「曇り」の他に「煙」と言う予報があるのに驚きました。

8月末、ポルトガルが燃え続けている間、私はオーストリアで豪雨に遭っていました。土砂降りの雨が二日間途切れることなく降り続け、土砂崩れで道路が寸断され、近くの町が洪水の被害を受けました。アメリカのハリケーン、カタリーナもひどかった。真剣に自然環境のことを考えないと...。まだ遅すぎないと思いたい。

アフリカンダンスと山火事

7月の2週目、一週間のアフリカンダンス・ワークショップに私は参加していた。会場はモンデゴ川に面した森の中にあるドイツ人コニーのモンデゴ農場。ワークショップは屋外で一日5時間、午前10時から午後1時まで、午後3時から5時まで予定されていた。西アフリカ出身でドイツ在住の講師とドラマーがモンデゴ農場に泊まり込んでいた。夏休みなので子ども達も一緒である。生徒は私も含めて8人。5人はポルトからテント持参で参加している。

ポルトガルの田舎では文化的な活動はほとんどないだろうと思っていた。予想に反して、タブアにはコニーが主催するエスコラダ・デ・ムジカ(音楽学校)があった。彼女はアフリカンドラム、ジンベエを教える。他にも、子ども音楽教室やピアノ教室などがある。週2回、ヨガ教室に通うようになってコニーと知り合った。

二日目。ワークショップ終了直前、木が燃える匂いが漂ってきた。この辺りの森林は原生林ではなく、商業用のユーカリ林や松林が多い。ポルトガル人が騒ぎ出してワークショップは中断。木々の間からコニーの家の方角を見ると、家のすぐ裏にもうもうと立ち上る黒煙が見えた。1キロほど離れた農場が燃えているようだ。

「(消火作業の)手伝いに行かなくちゃ」と言うコニーと一緒に、外に出られる格好をしていたクリスティーナとリタと私が車に飛び乗った。暑いさなかのワークショップである。ほとんどの生徒は裸足でビキニに巻きスカートという格好で参加していたため、すぐには動けなかい。

100メートルも進まないうちに木立の間に赤い炎が見えた。折からの強風で飛び火したのである。モンデゴ農場は風下になる。消火に使える道具はない。さらに数十メートル車を走らせると対向車が来た。隣の農場に住むドイツ人だ。「だめよ。もう、火の手が回っているからここから先には行かれないわ」

引き返すと、農場では避難の準備を始めていた。楽器を石造りの家の中に運び込み、プロパンガスと車を川辺に移動させた。馬とイヌを川辺につなぎ、ニワトリを小屋から逃がした。子ども達をカヌーで対岸に避難させた。農場に泊まっていた講師やドラマーの楽器や荷物もカヌーで対岸へ。私も含めて、ワークショップの参加者全員と講師達も対岸に避難した。農場には7人ほどが残った。

スティーブに電話をすると、友人の家のベランダからモンデゴ農場方面の黒煙を眺めながら、ワークショップ会場の近くだなあ、山火事に気づいていないことはないだろうが、一応電話で知らせよう、と考えていたところだという。

強風にあおられて乾燥した下草を燃やしながら火は飛び火し、コニーの家を取り囲むように数カ所から黒煙が立ち上る。家のすぐ後ろには赤い炎が見える。モンデゴ川の下流方面から出火した森林火災は燃え広がりながら上流にあるモンデゴ農場に向かってくる。

10日ほど前に初めて、ポルトガルの悪名高い森林火災を間近に見た。スーパーで買い物をして出てくると、黒煙がもくもくと青空に立ち上っているのが見えた。小型機とヘリコプターが各2機、消火を続けて、1時間ほどで鎮火した。

火災が起きてから随分時間が経ったような気がするが、消防車もヘリコプターも小型機も来ない。もっとも、消防車は燃えさかる森林の中を通り抜けなければならないので、来たくても来られないだろう。対岸の7人は消火作業をしているのだろうが、木々に遮られて見えない。乾燥した木が弾けて燃える音がこちらまで聞こえてくる。灰も降ってくる。晴天なのに空は煙で赤茶色に染まった。それでも、都会の火事とは違って燃えているのは森林と下草なので、有毒ガスの心配はなさそうである。

地元の人が消防署に何度か電話してやっと、ヘリコプターの音が聞こえてきた。峡谷には煙が充満して、視界はひどく悪い。飛んできた3機のヘリコプターのうち一機は目の前のモンデゴ川から水を汲み上げて家の回り放水し始めた。対岸にいる私達のところからは炎がよく見える。ヘリコプターが給水に降りてくるたびに、燃えさかっている炎の場所をパイロットに教えた。

火事が発生して3時間ほど経った。段々と風が弱まってきた。夜の8時はまだまだ明るいのだが、煙のせいで暗くなったように感じる。暗くなると消火作業が危険だからだろう、ヘリコプターは引き上げてしまった。誰かが消防署にまた、電話した。消防車がこちらに向かっていると言う。家の前にはパトカーが到着している。リタと私は消火活動を手伝うためにカヌーで川を渡り、モンデゴ農場に戻った。

農場ではコニー達がバケツやペットボトルにくんだ水や濡らした箒や鍬などで、家の近くまで迫った炎を消して回っていた。近所の人達も消火活動に加わり、いつの間にか人数が増えている。ダンスのワークショップに来て、山火事の消火をすることになるとは思わなかった。

黒こげになった森林が家の20メートル近くまで迫っていた。水の入った重いバケツを持って森に入り、炎やくすぶっている下草に水をかける。消しても消しても、風が吹くと炎が上がる。まるでモグラたたきだ。コニー達はくたびれきっていた。二日間で10時間踊った上での消火活動である。

暗くなりかけた頃、スティーブが来た。彼が林道の入口に到着した時には、なんとか林道が使えるほど鎮火していた。消防車が道を塞いでいたが、「妻(!)が下にいる」と言ったら通してくれた。「どこも黒焦げで、まるで地獄絵。車の中まで熱気が入ってくるから、怖くて真剣に運転しちゃった」とスティーブ。その頃には消防車もモンデゴ農場に到着していた。私達は冷蔵庫にあったビールやジュースやコーラを取り出して、ベランダに座り込んだ。

一緒にワークショップに参加していたヨガの先生ティッタは、この近くの家を買おうと思っていた。銀行から借りられるローンの範囲内の値段で、手入れをしなくてもすぐに住める家だった。その家も燃えてしまった。

ポルトガルの森林火災の50パーセントは不注意(タバコやバーベキューの不始末等)が原因だという。25から30パーセントが放火、残りが自然発火である。恨みや土地の値段を下げるために放火する人もいると聞いた。「これでもっと安くなるかもよ」とスティーブが冗談を言うと、疲れ切ったティッタは「ふん...」と力なく笑った。

コニーの家と農場は奇跡的に助かった。回りはすべて黒こげである。林道の両側も焼けこげた木が林立し、地面からは煙が立ち上り、所々炭火のような残り火が見える。

黒こげの森と、燃えなかった緑鮮やかな森林、そして青い空。翌朝通ったときに見たコントラストは鮮やかだった。火災から3日経っても、所々に煙が立ち上っていた。

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ポルトガルの森林火災の背景と統計を簡単に説明しましょう。

ポルトガルの年間平均火災焼失面積は1、100平方キロ。最悪だった03年には4、250平方キロが燃えた。環境的な原因として、紙とパルプの原料となるユーカリの植林(よく燃える。因みに森林の4分の3が燃えやすい松、ユーカリ、コルクである)、年々減り続ける雨量、1945年以来最悪の干ばつ、南ヨーロッパの記録的な猛暑等が挙げられる。また、過疎化で森林の所有者が都市にでてしまい、手入れをしないために消火活動が困難になっている。80年から現在までで国土の約3分の一が焼失している。

人為的原因としては火の不始末と放火が上げられる。今夏、放火容疑で35人が逮捕された。但しポルトガル人の友人に言わせると、放火の刑期が1年なので、放火犯は翌年の森林火災シーズンに釈放され、放火を繰り返すということだ。

今年は8月22日現在で1、400平方キロが焼失。8月25日には1、800平方キロに、9月14日現在には2、559.2平方キロ(国土の約3パーセント)に焼失面積は激増した。ポルトガルの国土は92、000平方キロである。