10月15日の大火 証言

 

ブランシュ:避難の準備は万全だった。馬は専用のトレーラーに乗せたし、手伝いも頼んだわ。夫は出張で不在で娘と二人だけだったから。

だけど、頼みにしていた3人が来られなかった。それでも、トレーラーと乗用車を交代で運転しながら、一人でも安全な場所まで行かれるだろうって思っていたのよ...。火があんなにすごい速度で移動するなんて、考えてもいなかった。

あっという間よ。家が炎に囲まれて何も持ち出せなかった。馬は放したわ。2頭とも、ものすごい勢いで丘に向かって走り去った。まだ若くて体力があるし、本能があるから...生きていてほしい。

それからは無我夢中だった。娘を車に乗せて、両側が火の壁になった道路を必死で走り抜けた。ペドロガオンが思い浮かんだわ。5分遅れていたら逃げ切れなかったと思う。ああ、ヤギも子豚も鶏も、置き去りにするしかなかった。

(ヤギと子豚は奇跡的に生き延びた。鶏は全滅。馬は一頭が死体で見つかったが、もう一頭は2ヶ月経った現在でも、行方はわからない。)

運命の一夜 10月15日の大火

 

真夜中の逃避行から一週間。雨はまだ来ない。空気も大地も乾燥しきっていた。雑草も下草も茶色に変色し、木々はほこりをかぶってうなだれていた。ポルトガル南部ではダムが干上がり、深刻な水不足となっていた。10月半ばだというのに、最高気温は35度から40度。いつどこで火災が発生しても不思議ではない。火が出ればあっというまに広がるだろう。連日、午後になると熱い風が吹き荒れる。周りを見回してどこにも煙が上がってないことを確認すると、5分くらいは安心できた。消防署のサイレンが鳴ったり、消防ヘリコプターや消防機の音が聞こえればベランダに出て周りを見回し、山火事サイトをチェックした。

10月15日日曜日。いつものようにタブアの市場に出かけ、ベンフェイタに住む友人のマーティンと一緒に帰宅した。彼は一週間前に遊びにくる予定だったが、先週の森林火災で延期になっていた。

午後14時半頃、扇状に広がりながら流れてくる煙に気がついた。山火事の発生状況を即時に更新するfogos.ptを見てみると、火元はベンフェイタ方面で先週の火事が再燃したらしい。家からは直線距離にして15キロ程の場所だ。マーティンは、家が心配だと帰宅した。

真夜中の逃避行

 

10月に入ってポルトガルでは異常気象が続いている。雨が降らない。4月以降、雨がぱらついたのは一度だけ。連日35から40度を超える暑い夏を経て乾燥しきったポルトガル大陸部では大規模森林火災が多数、発生していた。

10月6日夜23時21分、ポルトガル中部に位置するベンフェイタ村から直線距離で6キロ程の、アソール山脈自然保護区の南カスタニェーロ・ダ・セーラで火災が発生した。

10月7日、風光明媚な谷間の村ベンフェイタの広場では朝から定例の手工芸品や有機農産物の市場が開かれていた。この村は一時期、過疎化が進んで寂れていたが、オランダ、英国、ベルギー、ドイツなど北ヨーロッパの移民が「再発見」してから、周辺の山間部に点在する集落や森林部への移住者が増えて活気を取り戻した。

この日、市場は開かれたものの、ゆっくりと頭上を流れるぶ厚い煙が気になって、落ち着かない。ポルトガルに移住して長いドイツ人バーバラは、「山火事を恐れながら暮らすのはもう、いや」と言う。数週間前にはベルギー人のトムが引っ越すことを考えていると言っていた。

お知らせ/週刊金曜日

週刊金曜日1147号(8月4日発行)にペドロガオンとポルトガルの森林火災の記事が載りました。短い記事ですが、読んで頂けると嬉しいです。

http://www.kinyobi.co.jp/

ペドロガオンその後

 

ペドロガオンの大惨事から2週間経った7月1日、ユーカリの単一植林に抗議するアクションがリスボンの国会前で行われた。山火事で大きな影響を受ける私たち、ポルトガル中部に住む地元移民コミュニティからも25人程が参加した。

インターネット上では、かなり大きな抗議行動になりそうな印象だったが、ふたを開けてみると、参加者は60人程度。地方から3時間もかけてやって来た私たちのグループが最大だった。土曜日で誰もいない国会、報道陣も来ない。主催者がマイクを握って、「ペドロガオンを繰り返すな!」「ユーカリはいらない!」 と空っぽの国会に向かってシュプレヒコールを繰り返しても、やっぱり盛り上がらない。

毎年、ものすごい件数の森林火災が発生する。今年は64人も亡くなっている。なのに、この関心の低さは何だろう。ポルトガル人の参加者は「ポルトガル人は、自分の尻に火がついた時だけ行動するんだよ。賃上げ闘争だったら、すぐに集まる」と言う。ホントにそんなものなのか?

が、思い返せば東京に住んでいた頃は私も、地方の問題には鈍感だった。関心はあったし、頭ではわかっているのだ、環境破壊、ダム、米軍基地、原子力発電等など、全て自分の生活に関わっているのだということ。けれども直接、影響を受ける人達の痛みを身体感覚として感じることはあまりなかった。

たった270グラムの命/ティシアがやってきた

道路脇に小さな毛糸玉のような赤ちゃんネコがうずくまっていた。目が開かず、危険に曝されていること等、全くわかっていない。鳴くでもなく、ただうずくまっていた。

放っておけずに拾い上げ、家に連れて帰った。よく見ると目が開いていない。生まれたばかりだからかも知れないが、明らかに何かの感染症で腫れている。息づかいも荒い。すぐに獣医に連れて行った。治療して完治したら、里親を探すつもりだった。

だが診断は思わしくなかった。ウイルス性結膜炎で右目は手遅れ、左目は治療で或る程度回復が期待できるが、どのくらい見えるようになるかはわからない、と言われた。感染症の治療と左目の温存のため、早速、点眼薬と軟膏、さらに抗生物質の治療を開始した。感染は呼吸器系にも及んでいた。

朝8時から深夜12時まで、ほとんど2時間置きに、何らかの処置をしなければならない。シュウシュウが感染しては困るので、子ネコは隔離してベランダで世話をすることにした。

266グラムしかない赤ちゃんネコ。生後2週間くらいだろうか。両手ですっぽりと包み込める。声もまだ出ない。缶詰のウエットフードは口まで持って行けば食べるが、排泄には補助が必要だ。無力で弱々しい、としか言いようがない。放っておいたら、簡単に死んでしまったことだろう。

タブアの山火事

 

8月8日午後、庭仕事に取りかかろうとしていた矢先、タブア消防署のサイレンが鳴り響いた。山火事だ。庭から空を見上げても、庭木が邪魔をして、どこから煙が立ち上っているのか見えない。二階のベランダに出ると、目の前の丘の向こう側に黒い煙が細く立ち上っている。fogos.ptのサイトを見ると、直線距離で3キロ程のヴァルジアとカンドーサ村のあたりが出火元となっている。間もなく、空中消火機(消火機能のある飛行機やヘリ)が活動を開始。最初は2機、すぐに7機に増えた。

20分くらいで一時、煙の量が減ったので、初期消火が功を奏したかと思ったが、すぐに黒煙が広がり始めた。空中消火機は家の真上をひっきりなしに往復する。運良く、家は風上にあるので、突然風向きが変わらない限り、大丈夫そうだ。それに、家と火災現場の間には四車線の高速道路もある。それにしても、低空飛行する航空機の騒音はかなりのものだ。2機ずつ、南方から現場に接近し、消火活動後は北に抜けて行く。山火事はもちろん心配だが、航空事故も心配になった。燃料を積んだ飛行機が落ちたら、あっという間に火の海だ。

ペドロガオンの大火と避難民

 

死者64人と200人を超える負傷者を出してポルトガル史上に残る大惨事となったペドロガオン・グランデの森林火災発生から約一週間。焼失面積は5300平方キロ。出火原因は最初、落雷だとされたが、後になって落雷はすでに火災が4カ所で発生してから2時間経った時点で落ちたという証言が出て来た。ポルトガル政府は犯罪(放火)として捜査すると言っている。

この森林火災は、私達が住む集落からは直線距離にして40〜50キロ程西南。風向きにもよるのだろう、発生当日に影響はなかった。翌日からだ。空が煙で覆われ、黄土色に変わった。ベランダのテーブルは風に運ばれて来た灰でうっすらと覆われた。

週末に出されていた熱波警報は解除されたものの、週が開けても気温は35度を超える日が続いていた。火の勢いは衰えず、ペドロガオン近郊のゴイシュでも火災が発生。多数の友人が住んでいるベンフェイタはゴイシュから直線距離で10キロ程。高台に登れば、森林が燃えている様子が目視できる距離だ。

6月20日火曜日。ベンフェイタ村周辺の谷に住む外国人移民は、村の広場に集まっていた。森林火災が迫って来ている訳ではないが、風向きや強さによって、火がどの方向にどのくらいの速度で移動するかわからない。不安を抱えながら、村の広場で一日過ごしたと言う。

悲しい週末

土曜日にペドロガオン・グランデで発生した森林火災で64人が亡くなった。毎年、ポルトガルでは数えきれない程の森林火災が発生するが、村が全焼失し、こんなにも多数の人びとが命を失うような過酷な森林火災は聞いたことがない。

先週金曜日からイベリア半島全域で熱波警報が出され、日中最高気温は38度を超えていた。灼けつくような日光が容赦なく照りつける土曜日の午後、ペドロガオン・グランデの川岸は涼を取る人びとでにぎわっていた。そこに落雷が発生し、数カ所から火災が発生、避難を始めた人びとは主要道路に出る途中で炎に囲まれ、前に進むことも戻ることもできず、混乱の中で衝突事故が発生し、自家用車の中や徒歩で避難しようと自家用車から出たところで亡くなった。

地元ポルトガル人は、昔はこんなに森林火災は発生しなかったと言う。地球温暖化の影響はあるだろう。だが、地面から水分を吸い上げて急成長するユーカリの木の影響は大きい。ユーカリはポルトガルでは現金作物である。トイレットペーパーになってヨーロッパ市場で消費される。ヨーロッパのトイレットペーパーはポルトガルで作られる、とも言われる程だ。だが、地元では水不足の原因となる。

バリル・マーケット

毎月第三土曜日にはバリル・ド・アルバのマーケットが開催される。有機野菜や野菜や花の苗から、手作りのパンやお菓子、スパイス、エッセンシャルオイル、自家製ワインや蒸留酒、ホットドッグやピザ、古着や蚤の市で見るような家具や道具もある。

物によっては値段は「寄付」で、商品の横にバスケットや箱が置いてある。店番はいなかったりする。欲しい人は、勝手に選んで、適当或は自分の予算に合った金額をバスケットや箱に入れる。

子供たちも、工夫を凝らしてお小遣い稼ぎをする。子供楽隊が大道芸師のようにハーモニカや笛等を吹きながらマーケットを歩き回る。リクエストがあれば一曲即興で演奏しておひねりをもらう。自分で作ったお菓子やケーキを持って来て売る子もいる。

初めて会った時には幼児だった子供たちも、今では10代。クリエイティブなガイジン・コミュニティを反映して、クリエイティブにお小遣い稼ぎをやっている。

写真は上から、木陰て休む子供音楽隊、サングラスをかけてクールにパンケーキを売る男の子。

Pages

Subscribe to